おばあちゃん

水曜からソルドが始まり、久しぶりに
「毎日がドレス主義」を思い出す買い物ぷりにはしゃいでいました。

少し前に
「物欲がなくなったらしい」
とメールを送った気もしますが、やっぱり気のせいだったみたいだ。


そんな中、本日、日本の実家で長年一緒に住んでいた祖母が亡くなったとの
連絡を受けました。

おばあちゃん。102歳でした。
曾おばあちゃんではなく、おばあちゃんです。

ここ数年は、ボケも入り、少し敬遠してしまっていました。
私が、フランスに行くことを言った時、言うだけだと忘れてしまうので
紙に書いて渡しました。

おばあちゃんは、
「また勉強するなんて、えらいね」
と言ってくれたと記憶してます。

でも、その数分後にはまた
「なんで外国に行くの?」
とそんな会話を数回しました。

私が書いた紙を何度も読んでいたおばあちゃん。

「お正月には帰ってくるんでしょ」
と言っていたけど、資金の問題で帰れないと思っていたから
「私が帰ってくるまで、ちゃんと元気でいてね」
と言いました。

私が、出国する日、朝の早い時間だったけど、勿論起きていたおばあちゃんは
門の外まで、見送りしてくれました。
小さいからだで、乾いた、長い指の手を振ってくれていたのを、今思い出した。

これを書いていて、ようやく、少し実感が沸いてきた。

連絡を受けたときは、信じられなくて、動揺もしなかったけど。

やっと涙が出てきた。

年末に体調を崩して、入院していたことも、退院間近まで両親は私に言わなかった。
心配させても仕方ないしと、自由にやらせてもらっている上、配慮までしてくれて。

お正月直前、家で転んでしまったと聞いたけど、
生へのパワーがすごく強い人だったので、負けないだろうと思っていたけど、
やっぱり、疲れてしまったのかな。

でも、102歳だし。
小さい姿で、私の見送りをしてくれたおばあちゃんの最期に一緒にいられなかったことが
申し訳ないし、やっぱり悲しい。

お父さんに怒ったり、お母さんに文句を言ったりしていたけど、
最期は満足して逝ったのかな。

こんなに身近な人の死が初めてなので、やっぱりまだ実感が沸かないけど
帰っても、おばあちゃんはいないんだなと思うと、
そういうことなんだなと思うしかないし。

実は、こんなに早く一時帰国する予定はなかったけど、
おばあちゃんが呼んでいるので、来週一旦日本に戻ることにします。

おばあちゃんのポテトサラダと、糠漬けは超絶品だった。
最近は、あんまり料理してなかったけど、また食べたかったな。
ほんとに美味しかったから。

去年のお盆のとき、みんながビールを飲んでいるのを見て、
自分も飲むと、グラスを出した102歳のおばあちゃん。
その後、私が珍しく気をきかせたつもりでグラスを片付けたら
自分だけ飲んでないって、怒ってたね。

おじいちゃんが早くに亡くなってしまい、すごい苦労をして、4人の子供を育てた人です。
多分、地元で最年長だったと思います。
さいたま市から表彰もされたね。
とにかく強くて、すごいし、尊敬してました。

最期に一緒にいられなくてごめんね。
さみしくなかったかな。それだけが心配。
いつも、
「おばあちゃんの味方はめぐみだけだ」って言ってたからね。
そんなことなかったのに。

おばあちゃん、ありがとう。

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