両親 in Nice ①
もうだいぶ経ってしまったけど、6月末。両親がフランスに来てくれたときのこと・・・
お昼頃到着の飛行機でニースに着いた両親。
朝7時に、シャルル・ド・ゴール空港より
「ちょっと、お化粧とか髭剃りはどこですればいいの?」
という電話があったので、とにかく無事は確認できていたのですが
ニース空港に着いてから、荷物が出てこないトラブルに遭遇し、空港を出るまで
1時間以上かかったのでした。(幸い、ロストバッゲージではなく、AFの出し忘れだったそう・・・)
ということで、ホテルへ直行し、その後は旧市街へ。
「やっぱ、なんかピザとか食べたい」
というフランスは、イタリアではないですが・・・という絶妙なコメントのもと、
ピザを食べに行ったのでした。
お父さんが撮った写真、私たちよりも、横のモデルさんのような美人に
フォーカスされているのは気のせいかしら・・・。
ここで、両親は、フランスのピザやサラダのボリュームの洗礼を受けるのでした。
その後、お母さんのメモにあった「イギリス人の散歩道」=プロムナード・デ・ザングレへ。
海の碧さには、驚嘆していたものの、「あ、これがそうなの?」というかんじの反応。
何かがあるのかと思っていたらしい。海です、海。
そして、この暑さと時差ぼけの両親に鞭打って・・・城跡公園へ登る・・・
既にへとへとにさせてしまっています。
この後、ホテルに戻り、夜のフランクとの面会に備え、体力を蓄える・・・
そして、ホテルへ迎えに行くと
「やっぱり疲れたから、行きたくないかも。」
とお母さんが、若者のように「かも」というので、
「いいよ、無理しないで。そりゃ、疲れてるだろうし」
というと、お父さんが
「でも、フランク、ごはん作ってるんでしょ」
と。
「そうね~、じゃあ、ちょっとだけ行って、すぐ帰るから」
という流れで、両親は、うちに来たのでした。
英語も全くしゃべらない母、英語は昔仕事で使ってた父。
そして、日本語は「いただきます」しか覚えないフランク。
そんな4人の会が始まるのでした。
フランクに、教えておいた「はじめまして」より先に、
両親の「ボンソワ、アンシャンテ」(こんばんは、はじめまして)に先を越される。
人工芝を敷いたばかりのテラスで、アペリティフが始まったのでした。
両親からのフランクへのお土産は
「男気」と漢字で書いてあるTシャツでした・・・。
両親のフランクへの質問など、それこそ予想以上に緊張感のない雰囲気で
夜は更けていったのでした。
とはいえ、両親の質問の意図がたまに理解できないこともあったり、
フランクとしても疲れただろうし、もっと疲れていたのは両親でした。
でも、両親の想像より、いい人だったというのが、最初の夜の感想でした。
両親を送って、家に戻ると
「ほんとに、心配されてるんだね」
と言われ、
「だから、前から言ったじゃん」
と言うと、これほどまでとは思っていなかったとの事でした。
ただ、その夜、家族は大事だということで、話はまとまったのでした。
お昼頃到着の飛行機でニースに着いた両親。
朝7時に、シャルル・ド・ゴール空港より
「ちょっと、お化粧とか髭剃りはどこですればいいの?」
という電話があったので、とにかく無事は確認できていたのですが
ニース空港に着いてから、荷物が出てこないトラブルに遭遇し、空港を出るまで
1時間以上かかったのでした。(幸い、ロストバッゲージではなく、AFの出し忘れだったそう・・・)
ということで、ホテルへ直行し、その後は旧市街へ。
「やっぱ、なんかピザとか食べたい」
というフランスは、イタリアではないですが・・・という絶妙なコメントのもと、
ピザを食べに行ったのでした。
お父さんが撮った写真、私たちよりも、横のモデルさんのような美人に
フォーカスされているのは気のせいかしら・・・。
ここで、両親は、フランスのピザやサラダのボリュームの洗礼を受けるのでした。
その後、お母さんのメモにあった「イギリス人の散歩道」=プロムナード・デ・ザングレへ。
海の碧さには、驚嘆していたものの、「あ、これがそうなの?」というかんじの反応。
何かがあるのかと思っていたらしい。海です、海。
そして、この暑さと時差ぼけの両親に鞭打って・・・城跡公園へ登る・・・
既にへとへとにさせてしまっています。
この後、ホテルに戻り、夜のフランクとの面会に備え、体力を蓄える・・・
そして、ホテルへ迎えに行くと
「やっぱり疲れたから、行きたくないかも。」
とお母さんが、若者のように「かも」というので、
「いいよ、無理しないで。そりゃ、疲れてるだろうし」
というと、お父さんが
「でも、フランク、ごはん作ってるんでしょ」
と。
「そうね~、じゃあ、ちょっとだけ行って、すぐ帰るから」
という流れで、両親は、うちに来たのでした。
英語も全くしゃべらない母、英語は昔仕事で使ってた父。
そして、日本語は「いただきます」しか覚えないフランク。
そんな4人の会が始まるのでした。
フランクに、教えておいた「はじめまして」より先に、
両親の「ボンソワ、アンシャンテ」(こんばんは、はじめまして)に先を越される。
人工芝を敷いたばかりのテラスで、アペリティフが始まったのでした。
両親からのフランクへのお土産は
「男気」と漢字で書いてあるTシャツでした・・・。
両親のフランクへの質問など、それこそ予想以上に緊張感のない雰囲気で
夜は更けていったのでした。
とはいえ、両親の質問の意図がたまに理解できないこともあったり、
フランクとしても疲れただろうし、もっと疲れていたのは両親でした。
でも、両親の想像より、いい人だったというのが、最初の夜の感想でした。
両親を送って、家に戻ると
「ほんとに、心配されてるんだね」
と言われ、
「だから、前から言ったじゃん」
と言うと、これほどまでとは思っていなかったとの事でした。
ただ、その夜、家族は大事だということで、話はまとまったのでした。
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