ニースに戻り、そして、

25日に無事ニースに戻りました。
日本滞在が、予想外に延びて、もしこれで、付き合い始めたばかりの
フランス人がいなくなっていたら、自然とはなんて厳しいものなんだと
思う覚悟でおりましたが、いなくなっていませんでした。

空港に迎えに来てくれました。
よかった。

通常、月、火は会う日ではない私たち。
特に火曜日は、普段はサッカーの日なので、この日は、
大きな試合があるとかで、サッカーが中止になった為、泊まらせてもらうことに。
(ちなみに今は、友達の家を間借りしてます)
迎えにいくというオファーは、お断りして、バスで行くと宣言して・・・。

そしてですよ、このニースのバスの運転手。
特に、深夜バスの運転手は、安全運転という言葉を知らない人たちです。
バスのクセに、暴走です。本当に立っていたら倒されるし、座っていても
振り落とされそうになるくらいのスピードでカーブを曲がる人たちです。
今住んでる家から、彼の家まではバスで30分くらい山を下るわけです。
バスに乗ったら、運転手他、数人の乗客がいました。
途中で私ともう1人の男の子以外が全員降りました。
この間、運転手は、超プライベートトークの電話をしています。
それは日常茶飯事なのでいいとして、
ニースのバスは、日本みたいに「次は、○○に停まります」的なアナウンスはなく
観光客には冷たいシステムなのですが、私はいつものバス停より少し手前で
「降ります」ボタンを押したんです。

がしかし、バスが、いつもの道を、反対に曲がったんですね。

あら、違うバスに乗ってしまったのかしら・・・と不安になりながら
運転手はプライベートトークが終わらないので、念のため友達に聞くと
この時間、それ以外のバスはないとのこと。

しかし、バスは一向に停まる気配無く、暴走を続けます。

だんだん、地元のフランス人でさえ、「近づくな危険」とされているエリアに突入。
この川沿いは、信号が赤でも止まっちゃいけないとされる程危険らしく、
こんなとこ通るバスには乗ったことないし、
ニースに戻り早々、なんてこと!お母さん、お父さんごめんなさい・・・と心の中で
叫ぶわけですが、相変わらず運転手のプライベートトークは終わらない。

そうこうしてるうちに、一瞬止まってはいけないはず?の信号でバスが停まった瞬間。
なんと、バス内の電気が消されました・・・。

ひえーーーーーーー、もう絶対死んじゃう!!!!!!

と思ったところで、もう1人の乗客である男子が、ようやく
「ちょっと運転手さん・・・」
と声をかけると、なんとこの運転手が


「あららららーーーーーー!いたの!?」
と言うんですね・・・・

居たのじゃないでしょーーーーーーーーー。

運転手は電話に夢中で、もう乗客がいないと思い、終点まで行かずに
勝手に車庫へ向かっていたのです。恐ろしい。
更に恐ろしいことに、運転手は
「ココまで来たら、戻れないよ」
と無慈悲に言います。

いはいえですよ。こっちは、車庫まで行く為に運賃払ったわけじゃないし。
彼の「ココまで来たら」って、まったくよく言えたものですが、
結局私は、夜の社会科見学的に、なぜか、車庫まで行ったのでした。

運転手は私たちを降ろすなり
「コーヒーでも飲む?」
そんなことより私たちを町に戻して!!!!と訴える。

すると、運転手は
「大丈夫、ちゃんと友達に頼むから」
・・・って、自家用車とか、まじでないんですけど・・・と怯えつつも、
状況がおかしくて、なんだか笑ってしまう私が居ました。

さて、彼に、電話をしてみたところ
「ちょっと、どこにいるの?」と聞くので
「わかんないよ。とりあえず、バスがいっぱいあるところ」
「・・・・どこ?」
「川沿いを通って・・・バスが沢山あるんだってば」
車庫という単語を知らずに、余計な心配をさせてしまい申し訳なかったです。

そして、数分後、運転手の同僚が、
「よし、どこまで行きたいんだ」
と聞いてくるので、場所を伝えると
「問題ないね!」
と超ポジティブに返事するから、あっても困りますけど・・・と思いつつ、
今度はミニバスに乗り下山することに。

さっきの運転手も乗り込んできたから、自分で運転すればいいのに、と思っていたら
「俺は、ここだから。ボンソワレー」
と言って、途中で降りていったのでした。
なんて奴!ボンソワレじゃないよ!

そうして、夜のロングドライブは終わったのでした。
あー、怖かった。

彼に、何とか説明すると
「ばかなフランス人め!」
と怒っていました。このときばかりは、私もそう思うよと、素直に言えたのでした。

「ていうか、だから迎えにいった方が簡単だったんだよ」
とあいつのせいで、怒られてしまったじゃないですか。
私のせいじゃないのに。

でも、そのせいもあり
「バスは信用できない」と言って、翌朝、7:45の飛行機に乗る為6:00出する私を
ちゃんと起きて送ってくれたのでした。

日曜日にサントリーニから戻ったときも、また迎えに来てくれてましたが、
手には、バスの時刻表が。
「迎えにこれないときもあるからさ」
そうですね。

その後、空港近くに住む友達の家に寄って、ごはんを食べたのですが、
私はそこの2歳半のチビギャングに超気に入られて、「ママ」と呼ばれるに至ります。
興奮しすぎて、鼻血出すんじゃないかと思うくらいはしゃいでいました。

そんな、ある意味怒涛の一週間が終わり、今日からは、普通の生活に戻ります。
間借りさせてもらっている家で、寝るの、実は今日が初めてだ・・・。

相変わらず、いい部屋とのご縁がなく、今日も一軒振られました。





コメント

人気の投稿